遊びに満ちる

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何の意味もありません という言葉の意味

ア・コース・イン・ミラクルズ
-奇跡のコース-

という 有名な 分厚い本があるのですが
その本には
ワークブックというのがあって
そこで 簡単な トレーニングみたいなのを
日々やっていくんですね

私は1冊目をちょっとやっただけだったと思うのですが
そこでは
毎日 目に入ったものがあれば
こういうんです

「何の意味もありません」

机であろうが 
椅子であろうが
壁であろうが・・

見るものすべてに
そういうのです

これ
途中から 自分の感情に入ったのかもしれないのですが
私は この物質に対して言うところで終わったので
先については わかりません

ただ これが
何の練習かというと
たぶん ですが
すべては 中庸である

いうことを
自分自身にしみこませるためじゃないかと
思うんです



ちょっとお話が変わりますが
あるブログで
ラクルカードとかについて書いておられたような気がするのですが
その中で こんな言葉が書かれていたんです

「悪いことが起こりませんように・・・・」

●● = いいこと
xx =  悪いこと

今言われている 二元論とかいうのに
なるのかどうか
私は知らないのですが

そのブログと
奇跡のコースを思い出して

少なくとも
起こるすべては
どんなことであろうと
中庸
なんじゃないだろうか


今日 そんなことを思いながら
仕事をしていました


何かの出来事を

悪いこと
いいこと

そうとらえるのは
その人が決めることであって
起こったできごととは
何の関係もないのではないか
ということです

悪いことが起こって欲しくない
いいことだけ 起こって欲しい

気持ちはわかります
私も そんな中でずっと生きてきました

どうぞ 家族が
もう病気しませんように
と どれだけ祈ったことでしょう

でも

いろんなことを経験し
学んできて
今 思うのです

苦しい体験ほど
そこに隠されたギフトは おおきいのではないかと

それに
いいことだけ 起こって欲しいということの裏には
「不安」や「欲」があったりしないでしょうか?

もちろん
さっきも書いたように
気持ちはわかります

それは それでいいのだと思っています

でも

いいこと 
悪いこと

そう 決めているのは
自分自身なんですよね

心屋さんがいう
「損してもいい」

いっぱんにいう
いやなことも 受け取る
ということでもあるように思うんです

ミニマムでみたら
いいこと わるいこと 
かもしれないことが

大局的にみたら
すべては 自分の幸せへと つながっている
まさに それ以外にはない かもしれないのです

だとしたら
いやなことだとおもっていがことが
大きなギフトだったら
受け取らないなんて
もったいない

すべては 自分次第
かもしれないんです

何がギフトかは 
わからないかもしれないんです

もし
ちょっとしたことで
凹んだり 落ち込んだりするようなら

いちど 視点をかえてみるのもいいかも

もちろん
簡単にはいかないかもしれません
でも
何かのときに
よかったら 思い出してみてください

何の意味もありません
という 言葉の意味を