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OSHO  あなたが開いていたら 全存在はあなたの友になる

もし
真に無防御であるならば 
あなたにとって
否定的なものは何も無い
否定性はあなたの解釈だ 
あなたにとって
有害なものは何も無い
有害性はあなたの解釈だ

もし
真に開放的であるならば 
何ものにも害されることはない――
何ものも有害だとは思えない 
何かが有害だと思えるのは 
あなたが
抵抗しているからであり 
あなたが
敵対しているからであり 
それを受け容れていないからこそだ

このことを
深く理解するように

敵だと思うのは 
あなたが
自分を守っているからだ
敵だと思うのは 
あなたが
開放的でないからだ

もし開放的だったら
<存在>はすべて友好的だ

そうでないということはあり得ない

実際それを
友好的だと感じることさえない――
それは
ただ友好的であるばかりだ
それを
「友好的だ」と思う感覚すらない

そういう感覚があるのは
「敵対性」という
反対の感覚があるからだ

つまりこういうことだ

無防御というのは
不確実性の中で生きる
覚悟があることだ

深い意味では
「死ぬ覚悟さえある」
ということだ

抵抗したり 
敵対したり 
妨害したりすることがない

もし死が来ても 
それに対して抵抗することもない

ただ死の起こるのをゆるす

<存在>を全面的に受け容れる

だとしたら 
どうしてそれが
死だと感じられるだろう

否定するということは 
それを敵とみなすことだ 
もし否定しなかったら 
どうしてそれを
敵とみなせるだろう
敵ができるのは 
自分の否定のせいだ

死はあなたを害しはしない
害されるというのは自分の解釈だ 
もはや誰もあなたを害さない――
もうそれは不可能になっている

これこそ
道家(タオイスト)の教えの秘密だ

老子の教えの根本はこうだ――
受け容れれば<存在>全ては味方になる
それは必然だ

否定すれば敵ができる
否定すればするほど
防御すればするほど
守れば守るほど 
ますます多くの敵ができる

敵は自分の創造物だ
敵というのは 
外側に存在するのではなく
自らの解釈の中につくるものだ

いったんこれが理解できたら 
こうした質問は決して生じない――
「私は無防御で開放的だが
 どうして周囲の否定的な波動から
 自分を守ったらいいか」――
そのように言ったりはしない

もはや
否定的なものは何も無い 
いったい
否定的なものとは何を意味するのか
否定的なものとは 
自分が拒否したいと思うもの 
自分が受け容れたくないと思うもの 
自分が有害だと思うものだ

それはつまり 
自分が開放的でないということ
瞑想状態にないということだ

この質問は 
全く観念的な質問だ 
体験し感じた質問ではない
あなたは未だ瞑想を知らない
あなたはただ考えているだけだ
そしてその考えは単なる推測だ

あなたはこう推測する
「もし私が瞑想し、開放的になったら、
 きっと不安定になるだろう。
 そして否定的な波動が私の中に入り、
 害を働くだろう。
 そうしたら、
 どうやって自分を守ったらいいだろうか」
これは推測による質問だ
推測による質問を 
私に持ち出してはいけない
そういう質問は不毛であり 
見当違いだ

瞑想し 
開放的になる

そうすれば決して 
このような質問を持ち出すことはあるまい
なぜなら 
その開放性そのものによって
否定性は消滅するからだ 
そうすれば
否定的なものは無くなる 
また何かを
否定的だと考えたら 
開放的になれなくなる
否定性に対する恐怖それ自体が 
閉鎖性を生み出す

あなたは閉じてしまう……
開くことができない
「何々に害されるかも知れない」
という恐怖があったら 
どうして
無防御になれるだろう

だからこそ私は強調するのだ――
死の恐怖が消失しないかぎり
無防御にはなれないし
開放的にはなれない

そしていつまでも
自分自身のマインドの中で 
自分自身の牢獄の中で 
閉じたままだ

ものごとの推測なら 
いくらでもできるが
推測とはすべて誤りだ
マインドは
瞑想について何も知ることができない
瞑想の領域を見通すのは不可能だ

マインドが完全に停止するとき
瞑想は起こる 
だから推測は不可能だ……
瞑想については考えられない
瞑想については
知っているか 
知らないか 
のどちらかで
考えることはできない

要は開放的になることだ 
そうすればその
自分の開放性によって
<存在>の中の
否定的なもの全てが消え去る 
死でさえも否定的でなくなる
否定的なものは何も無い 
自分の恐怖こそが否定性を生み出す

奥深くで 
あなたは恐れている――
恐れているせいで 
色々な安全策を作り出す
その安全策が敵を作り出す 
自分が敵を作り出すというこの事実を
良く見極めることだ

<存在>は
あなたに敵対的ではない
どうして 
そんなことがあり得るだろう

あなたは 
<存在>に属している……
まさにあなたは 
<存在>の一部分 
有機的な一部分だ

どうして 
<存在>があなたに敵対し得るだろう

あなたは<存在>だ

あなたは分離していない
あなたと<存在>との間に隙間は無い

否定性や死や敵や憎しみを感知するとき
もしあなたが開放的で無防御だったら 
きっと
「自分は<存在>によって破壊されてしまう」
と思う
そこで自己防御の必要を考える

防衛だけではない――
なぜなら最大の防御は攻撃だからだ 
単なる防御に終始するだけではない 
自己防御の必要を考えるとき 
あなたは攻撃的になる 
なぜなら攻撃すること
攻勢に出ること 
それは自分自身を
守る一番の方法だからだ

恐怖が
敵を作り出し
敵は
防御を作り出し 
そして
防御は
攻撃を作り出す

こうしてあなたは
暴力的になる――
つねに防御の体勢をとる 
誰に対しても敵対している

この点を理解するように

恐怖を抱いているとき 
あなたは誰に対しても敵対的だ 
程度の差こそあれ 
敵も友もみな等しく敵だ 
友のほうが
敵対性が少ないというだけだ 
自分の夫や妻もまた敵だ

どうにか関係をとりもち
上手く調整しているというだけの話だ

あるいはたぶん
二人に共通の大敵がいて 
その共通の大敵に対抗して 
二人は一緒になり
徒党を組むということもあるだろう――
しかし敵対性はそのままだ

もしあなたが閉じていたら
全存在はあなたにとって敵対的だ

現実にそうだというのではなく 
あなたにとってそう
映るということだ

あなたが開いていたら
全存在はあなたの友になる

しかし閉じていたら
友でさえも敵だ 
それ以外にはあり得ない 
奥底では友さえも恐れている

Osho - Vigyan Bhairav Tantra