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OSHO:生を映画としてとらえる

生を映画としてとらえる

 この生すべてをつくり話として、物語としてとらえなさい。ひとたびあなたがこのように生をとらえたら、たとえ同じ生でも、あなたは不幸ではないだろう。不幸は、深刻すぎることから来る。7日間、試してみることだ。7日間、ただひとつのこと――世界全体はただのドラマだ――を、覚えておきなさい。するとあなたは、二度と同じではない。たった7日間だ! あなたはほとんど何も失わない。なぜなら、あなたは失うものなど何も持っていないからだ。
 試してみるがいい。7日間、すべてをドラマとして、ただの映画としてとらえなさい。
 この7日間は、あなたの仏性や内なる純粋さへの、多くの一瞥を与えてくれるだろう。そしてひとたびあなたがその一瞥を持ったなら、あなたは二度と同じではあり得ない。あなたは幸福だ。そしてどんなタイプの幸福があなたに起こり得るか、あなたには想像もできない。なぜなら、あなたはどんな幸福も知らないからだ。あなたは不幸の程度しか知らない――時にはあなたはもっと不幸で、時には少し不幸だ。そして少し不幸なとき、あなたはそれを幸福と呼ぶ。
 あなたは、幸福とは何かを知らない。あなたが知るはずはない。世の中をそんなにも深刻にとらえる観念を持つとき、あなたは幸福とは何かを知らない。この世はただのつくり話だという心構えに根づく時にのみ、幸福があなたに起こる。

 だから、これを試してごらん。すべてをとても陽気なやり方で、祝いに満ちて、それぞれの「行為」を実際のことではないかのように行ないなさい。もしあなたが夫なら、それを演じなさい。夫の役を演じることだ。もしあなたが妻なら、妻の役を演じなさい。それをただのゲームにするがいい。そしてもちろん、そこにはルールがある。どんなゲームも、ルールが必要だ。結婚はルールだし、離婚もルールだ。でも、それを深刻にとらないように。それらはルールだし、ひとつのルールが別のルールを生む。離婚は不運だが、なぜなら結婚が不運だからだ。ひとつのルールが、別のルールを生んだ! でも、それらを深刻にとらえないようにしなさい。そしてその時、いかに直ちにあなたの生の質が変わるかを見るだろう。
 まるであなたがドラマの一部を演じているかのように、妻や夫や子どもたちにふるまいなさい。そしてその美しさを見てごらん。もしあなたが役割を演じているのなら、うまく演じようとするだろうが、あなたは邪魔されないだろう。その必要はない。あなたは役を演じ、眠りにつくだろう。でも、それは役だということを覚えておきなさい。そして7日間、継続的にこの心構えに従いなさい。

 その後で、幸福はあなたに起こり得るだろう。そして一度、幸福とは何かを知ったら、あなたは不幸の中に動いていく必要はなくなる。なぜなら、それはあなたの選択だからだ。あなた自身が生に対する間違った心構えを選んだせいで、あなたは不幸だ。正しい心構えを選ぶなら、あなたは幸福でいられる。ブッダは「正しい心構え」に、とても多くの注意を払った。彼はそれを基礎に、土台にした。「正しい心構え」――それはいったい何だろう? その基準とは何か?  私にとっての基準は、これだ――あなたを幸福にするなら、それは正しい心構えだ。客観的な基準はない。あなたを不幸に、惨めにするものは、悪い心構えだ。基準は主観的だ――あなたの幸福が、基準になる。