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好きなだけタバコを吸うことだ。OSHO

くつろぎなさい。
頑張らないこと、
なぜなら、
頑張るのではなく、
くつろぐことを通じて、
初めてあなたは
気づくことができるからだ。
穏やかに、
静かに、
安らかになりなさい。

私が勧めるのは、
好きなだけタバコを吸うことだ。

まず第一に、
それは罪ではない。
私が保証しよう、
私が責任を取ろう。
私がその責任を負うから、
最後の審判の日に神に会ったら、
この男に責任があると言ってかまわない。
私はそこに証人として立ち、
あなたに責任はないと証言しよう。
だから、
これは罪なのではないかと
心配してはいけない。
くつろぎなさい、
そして努力によって
それを落とそうとしないこと。
だめだ、
それではうまくいかない。

禅は無努力の理解に信を置く。
だから私はこう提案する——
好きなだけタバコを吸いなさい、
ただ、
瞑想的にタバコを吸うこと。
禅の人びとが
茶を瞑想的に飲めるなら、
あなたも瞑想的に
タバコを吸えないはずがない。
実際、
茶には
タバコに含まれるような
刺激物が含まれている。
それは同じ刺激物であって、
大した違いはない。
瞑想的にタバコを吸いなさい、
とても宗教的に。
それを儀式にしなさい。
私のやり方でやってみなさい。

自宅に喫煙のための
ちょっとした一角を設けなさい。
タバコの神が祭られた、
その神に捧げられた小さな寺院を。
最初にタバコの箱にお辞儀しなさい。
タバコに語りかけ、
少し話をしなさい。
「お元気ですか?」と尋ねなさい。
それから
ゆっくりとタバコを取り出す、
とてもゆっくりと、
できるかぎりゆっくりと、
なぜなら、
ゆっくりとそれを取って初めて
あなたは気づくからだ。
いつもやっているように、
それを機械的にやってはいけない。
次にそのタバコをトントンと、
とてもゆっくりと、
心行くまで箱に打ちつけるがいい。
ここでも急ぐことはない。
次にライターを取り出して、
ライターにお辞儀をしなさい。
どちらも偉大な神々、神霊だ! 
火は神なのだから、
ライターが神でないはずがない。

次にとてもゆっくりと、
ヴィパッサナのように、
タバコを吸いはじめなさい。
それをプラーナヤーマのように、
素早く、忙しく、深くやらないこと、
とてもゆっくりとやりなさい。
仏陀は「自然に呼吸せよ」と言う。
だからあなたも
自然にタバコを吸いなさい。
とてもゆっくりと、
急がずに。
それが罪なら、
あなたは急いでやる。
それが罪なら、
あなたは早くそれを済ませたい。
それが罪なら、
あなたはそれを直視したくない。
あなたは新聞を読みながら
タバコを吸いつづける。
だれが罪を直視したがるだろう? 
だが、
それは罪ではないから、
よくそれを見なさい、
自分の動作のいちいちを
見つめなさい。

とてもゆっくりと動けるように、
自分の動作を
細かい部分に分割しなさい。
するとあなたは驚くだろう、
喫煙を見守ることによって、
だんだんと
喫煙の回数が減っていく。
そしてある日突然……
それは去ってしまう。
あなたはいっさい
それを落とす努力をしなかった。
それはひとりでに落ちていった、
というのも、
死んだパターン、
決まった動作、
機械的な習慣に気づくことで、
あなたは自分のなかに
新しい意識のエネルギーをつくりだし、
解き放ったからだ。
そのエネルギーだけが助けになる。
他のなにものも助けにはならない。

これは喫煙に限ったことではなく、
人生のあらゆることに当てはまる。
自分を変えようと
頑張りすぎないこと。
それは傷跡を残す。
たとえ
あなたが変わったとしても、
あなたの変化は
表面的なものにとどまる。
そしてあなたはどこかで
代わりのものを見つける。
あなたは代わりのものを
見つけるしかない、
そうでないと
空しい気がするからだ。

なにかが
ひとりでに消えていくときには……
というのも、
あなたはとても静かに
その愚かさに気づいので、
なんの努力もいらなかったからだ……
木から枯れ葉が落ちるように、
それがあっさりと落ちるときには、
後に傷跡が残らない、
後にエゴが残らない。

あなたが努力によって
なにかを落としたなら、
それは巨大なエゴをつくりだす。
あなたは考えはじめる、
「私はとても徳の高い人間になった、
 なにしろ、
 タバコを吸わないのだから」
あなたが
喫煙を罪と考えていたら、
自然と、間違いなく、
それを落としたとき
自分はとても徳の高い人間だと
考える。

世の徳の高い人間は
そのような人たちだ。
ある者はタバコを吸わず、
ある者は酒を飲まず、
ある者は日に一度しか食べず、
ある者は夜には食べず、
ある者は
夜に水分を取ることさえしない……
そして彼らは
偉大な聖者とみなされている! 
そういったものが
聖者の資質、
偉大な美徳だ! 
私たちは宗教を
とてもばかげたものに
してしまった。
それはすべての栄光を
失ってしまった。
それは人びとと同じように
愚かなものになってしまった。
だが、
すべては
あなたの物の見方にかかっている。
あるものを罪と考えたなら、
その反対のものが美徳になる。

改めて言っておこう、
タバコを吸わないことは
美徳ではなく、
タバコを吸うことは罪ではない。
気づきが美徳であり、
気づきのなさが罪だ。
そしてその同じ法則が
あなたの生全体にも当てはまる。

Osho - Ah, This!